それぞれの展示開催のため、高知から来ていた
南蛮焼作家の廣谷さんと、竹籠作家の大造さん。
前回わたしが高知を訪れた時の続きを繋げるように
前回わたしが高知を訪れた時の続きを繋げるように
今回の東京滞在でも、多くの時間を共にした。
見送って、日常に戻った今週。
一緒にいた時間、印象的だった事の余韻が
ふと現れる。
満月か新月の時は
竹を狩るのに適した時期らしいこと。
そんな話も聞いたのだった。
月の写真は必ず、うまく撮れない。
見送って、日常に戻った今週。
一緒にいた時間、印象的だった事の余韻が
ふと現れる。
満月か新月の時は
竹を狩るのに適した時期らしいこと。
そんな話も聞いたのだった。
月の写真は必ず、うまく撮れない。
竹籠展の会場となっている、吉祥寺のOUTBOUNDでは
7日(日)に店主・小林さんとのトークショーがあり
程好い人数が集った会場では
和やかに質疑の会話が交わされた。
自然体で柔らかい、分かりやすい語りでありながら
紙一重のような微妙な感覚も、的確に言い表す大造さん。
廣谷さんにもそういうところがあり
ふたりの感覚や云い様に、自分の日々のぼんやりした体感も
納得の着地点を得たりする。
和やかに質疑の会話が交わされた。
自然体で柔らかい、分かりやすい語りでありながら
紙一重のような微妙な感覚も、的確に言い表す大造さん。
廣谷さんにもそういうところがあり
ふたりの感覚や云い様に、自分の日々のぼんやりした体感も
納得の着地点を得たりする。
会場では親友である廣谷さんが撮った映像が流れ
よく知り合っているからこそ、の目線のありようは
見ているだけでもなんだかジンとくる景色。
何ループ眺めていても
目を留める度、見入ってしまった。
目を留める度、見入ってしまった。
今回の展示タイトルにもなっている”生きている”のことばの意味。
自然物に対して、自分が変化する動き。
対談の内容は、そんな事柄で
この内容の共通項は、絶対に工芸作家だけでなく
20代の若者や、サラリーマンにだって通じる概念を
含んでいると思うのだけれど。
自然物に対して、自分が変化する動き。
対談の内容は、そんな事柄で
この内容の共通項は、絶対に工芸作家だけでなく
20代の若者や、サラリーマンにだって通じる概念を
含んでいると思うのだけれど。
対象に身を委ね、出来たもの。
「そうなっちゃった」としか言えないんだよね
と、笑いながら云い合う二人の姿。
他のいろんなシーンも
まだあまり日がたっていないのに
既に感動的に心に残っている。
山崎大造 竹籠展←
「生きている竹」 9/6 - 15 吉祥寺 OUTBOUND にて
:廣谷さん曰く
「都心で竹林を感じる展示」。
「そうなっちゃった」としか言えないんだよね
と、笑いながら云い合う二人の姿。
他のいろんなシーンも
まだあまり日がたっていないのに
既に感動的に心に残っている。
山崎大造 竹籠展←
「生きている竹」 9/6 - 15 吉祥寺 OUTBOUND にて
:廣谷さん曰く
「都心で竹林を感じる展示」。