2016-05-26

最近の徒然


たぶん10年近く好きであり続けている一本のDVD。
モーリス・ベジャールの制作記録作品。

彼をはじめ、出演するダンサーたちの語りには
その時その時の自分にとって、なんとなく引っかかり
しばらく咀嚼し続けらる言葉があったりして
折に触れ、飽きず付き合える魅力がある。

繰り返し見ているので、セリフやナレーションの一節まで
欲しい言葉は大体思い出せるようになっていて
自分の心の中でなんといったらいいか思案している時など、ふとシーンが重なって
「言っていたあのことと似ているのかな」と
ぼんやりした状態に輪郭が与えられる時がある。


「ただ音楽を聴くのと踊りながら聴くのとは違うの。
それは、からだもその音を理解しようとするから。
止まって聞いているのとは違う」


日々の生活の中で、つくる作業から離れていても
対象についてはこころのどこかで考え続けている意識なのだが
やはり、机に戻り手を動かし始めると
考えが引き上がっていくことが度々あって
違いを実感する。
座っていると、なるべくここに帰ってきていたいな、と思う。
この時間が、やはり”わたしの時間”なのだ。





この前の藤野での展示中
焼き物作家3人でなんとなく喋っていた時の会話が良かった。


わたしの作品を家に掛けていてくれるW氏。
「なんか見ているとね、執念深くないとここまでならないんじゃないか
って気がしてきたんだ。」という。
するどい。

 ああ、やっぱりモノに自分のなりが出るのだな、と思わされた。
さらに言うと、環境や距離感の感覚も共通項が多くある。


焼くことで、自分の意図の何かを変化させられるのが
焼き物の魅力だと思っている。
地上に生きていることでは、屈せられることがあると
そんな感覚を大切にしたいと思っている。
凌駕したくない。
そんな話をしつついたところところにずばり

「ヤキモノはね、人生なんですよ」

というK氏。


言葉だけでは、なんだか過剰にも聞こえるセリフだけど
あのせめぎあいを知っているから
それぞれを繋いでうなづきあっている。
 




今週末は、デンマークの美術館に向けての発送をする。
初めての海外展出品。

学生時代や社会人になってからも
海外に向かってのことは、じぶんにはあまりピンとこなかったのが
ここ最近でちょっと変わってきた。


広く多くに行き渡らない、この個人的なモノは
 こちらから出会う人を見つけに
各地に赴くのが幸せなんじゃないかと思うようになっている。
数少なくとも、深く共有出来る感覚を持つ人。


モノに行方を託して。