2016-01-11

海と山の散歩

年末赴いた高知。
今回の目的は、「海と山とをさんぽする」 こと。

道すがら、ふと気に留めたものを拾う。
自分は何が気になるのか、その目線を撮りたいとも思っていた。



暖冬の今年、高知市街は歩いていると上着が要らなくなるくらいだけれど
ゆかりさんの窯場は山の中にあり、日中早くに日が陰るので
凍てつく青い光に包まれている。
最後のカーブを曲がったところで、一変する冬景色。
ひとつの曲がり角でこんなに違うのか、と、驚きつつ笑っていた。




吹きつけたようにうっすらと現れた霜。
筒切りになった薪材の下に、ちいさな野いちごが赤く光る。
つるりとハリのある粒は凍っていて、口に含むとシャリリと冷たい汁がにじむ。
輪郭のはっきりした酸味とかすかな甘み。

こういう口にできるものを見つけた時は
「あ!」と、今も昔も同じ嬉しさがある。


窯場では、宿泊先の松本くんの家で使う薪を一箱もらって
山の散歩へ移動。









ものを拾おうとする時、山道は案外綺麗にされていて
あまり足元にものが散らばってない、というのがわかった。
そして、だんだんと意識は”登る”方に向き、のんびりとまわりを見遣って歩くというより
普通に山登りの気分になっている。
気ままに足を止めるゆったりした気分、にはならず
目の前を通り過ぎる時に、ぱぱぱ、と撮ったり拾ったり。

それでもすがすがしい空気の中で味わうおにぎりは
冷え切って硬くなっても格別の味で 
その冷たすぎるごはん粒を可笑しがって食べていた。



おしりに敷いた手拭いを、
腰掛けた倒木にそのまま忘れてきてしまったな。











拾い歩きスターターに易しいのは、やはり海辺で
もう、いちめんに石も貝も木片も”散らかっている”。

貝拾いは、けっこう人柄も出る、というのが前回でわかったのだけれど
相変わらず、私は、ガサガサゴソゴソした貝片をつまみあげ
ゆかりさんは思わずにっこりしてしまうような可愛い貝を見つける。
 大造さんは、寝そべりながら流木の標を立てていく。


暖かく熱せられた小石の浜辺に寝転ぶ。
地面に張り付いてしばしじっとして、呼吸する。
生きていくのには、わたしには最低限何が必要なのか。
環境や立場を変えることはできるか。

そんなことをぼんやり考えた。



地面からも日差しからも心地よく温められて
 そのまま、昼寝になった。