2015-07-04

レコードとねこ






たびたび訪れる高知で
行けば立ち寄るようになったお気に入りの喫茶店。

そこでは、なんだか心地よく適当にしてくれるマスターと
カウンター越しに座った我々は、カレーを食べ
どうでも良いような話題で笑い合う。
ひとしきりの後
この場で起こる事が日常生活ではないわたしは
みんなと同じ自然なそぶりを装い、内心名残惜しく去る。

マスターは、お客さんの感じや自分の気分でなのか
ふらりと、レコード盤を選んで曲を流す。
時に聴き入り、時に話題にかき消される
物質感ある聴こえ。


もう、あの雰囲気が
東京に帰ってきた後思い出されてしまって
『レコード』 は、あの一連の場所につながる憧れになってしまった。



 いよいよ、思い切って中古のプレーヤーを手に入れたのは
じつは昨年末のことなのだけれど
それから先もまだ、なんだかんだと 部品や機材を調べていたら
知らなかった事や、わかりにくいところに出くわし
そればっかり熱心にもしていられなくなり
今までかかってようやく音が出た。
先週の夜のこと。


今の音楽再生装置は
音が出る現場は箱の中で
見る事ができないのだけれど
レコードは「ここをなぞって、音が出てきているんだ」と眺めつつ
わかりながら聴けるところが、おもしろい。

針の位置を水平に設定するのに 、知識不足で手こずったものだから
いろいろ疑い錯誤した後に
 ”・・・フワァ〜”  と、音が現れたうれしさは
夜中にひとりで「やった〜!」と声に出してしまうくらい。


音としては、まったくアバウトな耳で聞いているのだけれど
何が魅力になっているのか。


盤を細やかな針がなぞっていく感触。
それを感じながら、たどる旋律。

盤に納められた音楽は
どことなくその”録音された現場”に近い気がする。
その作品だけではない
周りの気配みたいな情報も一緒に含んでいる気がする。


どうしてそれが良いと思うのか、は
それはひとそれぞれのこと。
もっと、ソリッドに”作品”に集中したい人もいるだろうし
今のわたしの聞いているものより
もっと良い音響でデジタルサウンドを楽しめるであろう。



なにか作品周りで居た人の気配がする。

”そんなかんじがする” 想像の楽しみが好きなだけで
選んだもの。 




 
ちゃんと聴ける時に、針を落とそうかな、と思う。
雑に聴いたら、ちょっと申し訳ないような。
丁寧に入れたコーヒーを一気飲みしてしまうみたいな、勿体無さか。



飼い始めた猫は、同居生活三週間目。

 こんな夜中に、ゆっくり聴きたい。