2014-10-13

a l'etage後期ご案内 +a



(ギャラリーの2階、カフェ併設の空間です)


森田春菜  展

陶立体
個展

10/4 sat - 26 sun
こちらの展示は終了いたしました。



会期中は、竹内よしこさんによる
展示内容のイメージを絡めた焼菓子を販売。

穀物の味わいをしみじみ感じる
風味豊かなおかしでした。
研究熱心な竹内さんオリジナルの力作です。





木工作家・小山剛さんの個展に一部作品を提供しておりました。
(ギャラリーFUUROにて 2014年10月4日(土)-11日(土))
小山剛 展「美の用」

出品協力作家
秋野ちひろ、鎌田奈穂、熊谷幸治、森田春菜、渡辺遼

小山氏談:
美しさで言えば “衣食住”どちらが上とか下とかでは無くてすべては繋がっている。
用の美という言葉も同じで、視点はもっとフラットでいいし
 時には裏側から覗いてみると新しい発見があっておもしろい。
今回はモノの持つマチエールやモノが置かれた 外側に焦点を当ててみました。 
そして、そんな風にモノを作り出している
同世代の友人にも 小さなコラボ作品を作っていただきました。











ぽろりぽろりと、行く当てなく居た小品たちが
心地の良い住処をもらえた様な景色。
今、あらためて画像で眺めていると
どこか母心にも似た
愛でる様なありがたさを覚えます。



凛とした輪郭が際立つ小山君の作品は
静謐な気配を漂わせつつ、力強くもあり。
彼ならではの個性と存在感を放っていました。

真摯に樹に向かう彼の姿が目に浮かぶ様な
意気込みが凝縮した空間。

力作ぞろいの充実の個展のなかで
関わることができた、しつらえ。
どうもありがとうございました。

象徴を巡る旅

今回の名古屋訪問も含め、今年は旅の多い一年になっている。
『旅』と言っても、日帰りの事もあれば、ほんの数泊ほどの
自身の活動を兼ねた”遠征”的なものが中心。
それでも、毎月どこかしら遠方へ、機会をたのしみに足を運んだ。

日常の場を離れた気分の変化は大きい。



行く先々では、どんなにゆったり時を過ごしていても
アタマの片隅には”この時間には終りがやってくる”意識があり
その影響あってか、一緒にいる人との時間の濃度が高まる。


今年、足しげく通った高知は、訪れる度に
そこでの濃密な時間を、全て身に染み込ませておきたいような気分にさせられる。
 日常からはなれた”そこ”で起こることと
自分にとってのことを照らし合わせてみる。
結果、何かしらの問いを投げかける気分を
おみやげに持って帰るのだった。
人間的なことも 取り巻く環境も その他もろもろのことがらも。
旅の余韻が残る中、しばらくはぼんわりと
起こっていたことを思い出しながら 想い続ける。

わたしにとって、そこは、そんな土地になった。




それぞれの訪問地で出会う人と共に、
どうして今のモノづくりに至ったか、はよく話題になり
また、どういう考えで現在制作しているかも
よく聞き、話していた。

その都度、自分の場合、を顧みると
自分には確たるコンセプトが言えないことについて、も
考えていた。


わたしのものづくりは
きっかけになった起点から、前へ進んでいこうと、
目の前に置かれた”飛び石”を頼りに
その都度現れたものに従って点々と進んでいったら
いつの間にか
思い描いた、元の起点から見た景色から逸れていた、
と、いうような成り行きになっている。

実際、”私はこのモノでこういう事が言いたいのです!”
という発信、表現を、ものに託していない。
けれども、カテゴライズしようにも微妙な位置にある
この”ヤキモノ立体”制作は
いまだにこうして展開を続ける。
それが何か、と説明出来る前に。




約十年以上も前にさかのぼる学生時代は
よくこの手の『なぜ作るのか』 問題に対して
まじめに言葉を綴り、模索した。
これは単純に”授業カリキュラム” に習ったから、の取り組みだったけれど
不出来なすべり出しだった分、しつこくやり続けた。
この作業は、今思うとけっこう大事な鍛錬だった。
あの頃掘り下げて得た感覚は
今でも同じような部分が多くある。


今現在ヤキモノでこの制作を続けるようになった理由は
そもそも 、うっかり入れた母校の大学のおかげ。
”陶”を選んだわたしは、
そこで”うつわ”を学ぶものだと思い込んで、進んでいた。

 しかし、そこで待ち受けていた第一声の教えは
  『”ヤキモノ”の既成概念を捨てる事』。
それは
 土というものでなにができるか
自分なりにこの四年間で探しなさい
というのが指導の主旨だった。
その上で、うつわを作りたいのならそれでもいいが
創作において、思い込みの概念から解放されているように、と。

手取り足取り指導するカリキュラムでなかったおかげで
そこからは自力で泳ぐしか方法が無い。

しかし思えば、今現在もこの時の教えを忠実に守ろうとしている
と言って良い気がする。
抗う事も思わないくらい、当時のペラペラの若輩者にとっては圧倒的なものがあり
この教えは、ほとんど刷り込みに近かった。



そんな偶然の派生からとしても
わたしにとっては今もその時点から続く模索が続いているのだから
結局はこの作業が性に合っていたのか、、、
と、腑に落ちる。


『土で何ができるか』。

このイメージは、まず自分が”原始人”のようになって
ひとつひとつをあらためて『発見する』ようにすること。
今居る自分を取り巻く環境と、今の思考と、手元の素材と。
この三つの組み合わせを”誠実”に想像していくこと。
どこかで見た、出来あいのものに引き込まれないように
”わたしが発見する”景色を求める。


制作はこの取り組みの繰り返しなのだけれど
その時の自分の環境や、人との出会いや、そこで見聞きしたこと
さらに、今、手元の土に起こる表れ。
さまざまな要素が多様に入り込む。



よく、ご覧くださった方から聞く言葉は
古い発掘物のよう、だったり
骨や枝のよう、だったり、と。
わたしもそれをとくに否定をせずにいて、
しかし、実際はそうして具象のものを例えにできるのだけれど
それに至る経緯は、できあがった”そのもの”を目指して出来上がった、とは言い難く、

手元を探る
何が起こっているか観察する
そして、見合うかたちに寄せていく。

こうして追って行って、落ち着いたところが
『こうなった』
という”モノ”になる。
この一連の作業に、自分で区切りをつけるのは
かたちと素材のようすが”なんかいい感んじ”がする、という時点。
これが私のことばになっている。



『ひとつのことを言い表したり、目指したものではなく
いろんな物事や現象が幾重にも”ミルフィーユ”の層のように重なっているところが
もりたさんのものなのかなぁ。』

こう言ってくれた方からの言葉を
すこし経った今も、大切に反芻している。

そんな中で、最近知人のK氏が教えてくれた
『ブリコラージュ』
という概念。
それはあらゆる場面で起こる感覚。
名づけられていたことを知り、一層際立つ。


まだまだ難解なこの思考。
でもゆっくりゆっくり手元になぞらえながら
理解したいと思う。


2014-10-07

10.2-12 a l'etage 前期景色



  






竹内よしこさんのお菓子と





森田春菜  展

陶立体
個展


2014 .10/2 thu - 12sun : 1st
10/16 the - 26 sun : 2nd
※13,14,15 close

12 - 18:00 open

現在10/5 & 10/19 在廊を予定しております。



ギャラリー hase -ハーゼ-(愛知 名古屋)
(ギャラリーの2階、カフェ併設の空間です)


会期中は、竹内よしこさんによる
展示内容のイメージを絡めた焼菓子を販売します。
こちらもおたのしみに・・・